「脳と腸」の関係
やがて、単細胞生物から多細胞生物が生まれた。
そして、およそ五億五〇〇〇万年前、一○○○万年ほどの間に、動物は爆発的に進化していった。
単細胞生物よりも多細胞生物のほうが生存に適していたためである。
生存に適した性質を持つこと。
これが生物の重要な本質の一つであり、これに加えて自己複製やエネルギー交換などが本質として挙げられよう。
生存に適した性質とは、外界の変化に耐えられるということである。
気温が多少上下しても、海水中のイオン濃度が急に変わっても、水圧が急に上下しても、びくともしない体でなくてはならない。
しかも、食うか食われるかの世界である。
敵に食われるよりは敵を食うことが望ましい。
動物が取った戦略は、これらの働きを持つ細胞の集団を作ることであった。
特定の働きを持つ細胞の集団を器官という。そして、動物が最初に持った器官こそ、腸なのである。
進化から見ても、腸こそ、動物の最初の器官である。
多細胞の動物の中でも最も単純な構造を持つものの代表が腔腸動物であり、ヒドラがこれにあたる。文字通り、腸が主体の動物だ。
ここから、さまざまな形態に動物は進化していったのだが、脳、脊椎、心臓がない動物はいても、腸がない動物はいない。
一方、最初に身体の外側にあった部分由来の器官は外胚葉である。
皮膚も神経も外胚葉であり、仲間同士である。
脊髄は一定間隔で末梢神経の枝を出す。脊髄は進化とともに、入り口側にふくらみを作った。これが脳である。
動物の進化につれて、脳は脳幹からはじまり、小脳、間脳、大脳辺練糸、大脳新皮質と、その構造物を増やしていった。
なお、内肺葉と外胚葉の中間に位置する筋肉、骨、免疫系などの細胞群は中胚葉である。成長すると腸壁の構成物になる平滑筋も由来は中胚葉である。
一方、腸壁に網目のように張り巡らされた神経細胞は、脊髄近傍から出たものであ
り、由来は外胚葉である。
進化の道筋に沿って、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、ヒトと、順に脳が肥大し
ていった。
われわれの体では、まず腸が発生し、後に脳が発生したことをよく理解しておく必要がある。腸の神経が脳に似ているのではない。
腸の神経に脳が似ているのだ。(『内臓感覚』 福土審)動物の始まりは、「腸」だ。
脳がない動物はいても、腸がない動物はいない。
腸の神経が脳に似ているのではない。
腸の神経に脳が似ているのだ。
これは、動かしようのない事実であり、「脳」が出てくる以前の段階では、「腸」を中心とした<感覚>(原生的疎外)で、そこから行動を促して、気の遠くなるような長い時間、生命を維持し、<繰り返して>きたのだ。
最近の「脳科学」の本を読むと、依然として、人間の主人は「脳」であり、人間の身体は、「脳」を乗せて運ぶ、「道具(車)」であり、内蔵は、「脳」に栄養を送る器官に過ぎないように見なされている。
こういう「脳科学者」から見ると、障害児教育で言う、「目と手」の協応を通して、障害者が進歩するのは、「脳」が刺激されたからだ、ということになるだろう。
つまり、「手」は、パソコンの「入力器官」(キーボード)に過ぎない、というわけだ。
脳を過小評価するつもりはないが、人間の身体には、気の遠くなるような長い時間の中で、「腸で感じ、身体を動かし、行動していた」段階の身体の名残が生きて(内包されて)いて、それが<心の表出>に対応していることは間違いない。
人間は、脳も、身体も、内臓も、五感も、すべて<総合>して、<現在>として生きている。
養護学校(総合支援学校)の生徒たちは、知的な遅れを持ちながらも、豊饒な内臓感覚と身体を持って、日々の生命を、出来る限り、精一杯、繰り返していることを、僕は信じて疑っていない。